なぜ、ダンシングおにぎりにハマるのか。(2)

ダンシングおにぎりはどうなのか…。

少なくとも、見せるゲームじゃないと思う。
たまたま、家に遊びに来た友人に見せる事はあっても、基本的には一人でやるゲームだと思う。
楽曲を提供している作者の人は見せるのかもしれないが。
ダンシングおにぎり人口のほとんどはプレイヤーだから、やっぱり一人でやるゲームだ。

一人で、黙々とプレイする。
繰り返し練習する。
上手くなると、今まで出来なかったフレーズが出来るようになる。
更に難しい曲に挑戦していく
。新しい曲を求めていく。
まるで、修行をしているようじゃないですか?

そう、私はダンシングおにぎりは修行だと思う。
しかも、誰に課せられた訳じゃなく、自らが自らに課した修行だ。
修行をしたからといって、偉い訳でもない。
あくまで、純粋にダンシングおにぎりが上手くなるための修行。

ハッキリ言って、めんどくさい。
難しい。
やらなくていいなら、やらない。
ダルイ。

なんて人は、ダンシングおにぎりにはハマらないだろう。
きっと、ダンシングおにぎりにハマる人は、その修行によって、上手くなる自分が嬉しいのだろう。
困難な修行を乗り越えるのが快感なのではないか。
誰の為でもなく、自分の為だけに集中する。
一種の自己鍛錬。
こういう事が好きな人は、その集中力のベクトルを、別の方向に向けると、スゴイ力になるのかも知れない。
(しまった、なんかまとまってない!)
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